ピア・レスパイトでの体験、5人の証言
再度、松田博幸さんのfbからシェアさせて頂きます。
【ピア・レスパイト勉強用メモ その3】
『ピア・レスパイト・ハンドブック』(Peer Respite Handbook)のなかに、「ピア・レスパイトに滞在した人たちの物語」という章があり、ピア・レスパイトにいた人たち、5人の手記が載せられています。これを読むと、心の調子が崩れてどうしようもないときに、なぜ、入院ではなく、ピア・レスパイトが必要なのかということが、とてもよくわかります。以下、その部分を紹介します。関心のある方はどうぞ。なお、私の勉強用メモなので、推敲や訳語の統一等はしていません。
Davidow, Sera. Peer Respite Handbook: A Guide to Understanding, Developing and Supporting Peer Respites. Western Mass Recovery Learning Community. Denver: Outskirts Press, 2017.
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ピア・レスパイトに滞在した人たちの物語
(pp.205-212.)
◆ マーティ(Marty)の物語
私はつらい時期を過ごしていたのですが、ふたたび多くの薬をのむようなことはしたくありませんでした。とくに抗精神病薬は避けたいと思いました。初めのうち、主治医の精神科医やセラピストはサポーティブでした。でも、ことが何週間にもなってくると、その人たちは、私は入院すべきだと言うようになりました。私がこれまでに得たものを入院や服薬で失うことがないと約束してくれるか、私はその人たちに尋ねました。二人とも、その約束はできないが、時間が経てば私は自分を再び取り戻すだろうと思っている、そして、起きていることをストップさせる必要があると言いました。
私の頭は、ものすごくたくさんのプログラムが作動しているコンピューターみたいで、フリーズしてシャットダウンし始めていました。私は自分の言葉を失いつつあり、人びとのなかにいるのがつらくなり、会話をするのがとても難しくなりました。結局、強制入院させると脅され、私は森の中に向かいました。カヤックがしたくて森の中にいましたが、ものごとはよくも悪くもなりませんでした。二日間続けて雨が降り、ずぶぬれになり、惨めでした。
最終的に、誰かがピア・レスパイトを提案してくれ、入院する代わりに、そこに行くことができました。私にはそれが助けになるかどうか、わかりませんでした。でも、試してみて、多くの薬をのむことなく、この極度に苦しい状況を乗り切りたいと思いました。そこに行くと、私をサポートするのに自分たちに何ができるのか、人びとに尋ねられました。私は言葉をまったくもっておらず、最初は、その質問にパニックになってしまいました。私が思ったのは、私を助ける方法をあの人たちが知らないのなら、私も自分がしていることをまったくわかっていないので、とても困ったことになってしまうということでした。
しかし、その質問は私に考えさせてくれたのです! そして、わかりました。私は自らの体験に関するエキスパートになる必要があるのだと。私は、病院にいることでどんなことが助けになってきたのかについて考えました。助けにならないことがあるのはすでに確かでした。たとえば、服を脱がされ、見知らぬ人たちに見つめられ、何時間も、そして、何日も救急室(emergency room)で座っている、など。
通常、私は、入院させられていたとき、何日間か「クワイエット・ルーム」(=保護室)に入れられていました。服を脱がされ、鍵をかけられて閉じ込められるのが嫌でした。しかし、静かで、何かを要求されることがないのは助けになっていたと思います。レスパイトでは、すてきな大きなベッドのある美しい部屋で時間を過ごしました。私がベッドで眠らないことを選択し、床の状態が安全であれば、他の人たちと一緒にいることもOKでした。病院ではそういったことは大ごとで、うまくいきませんでした。また、自分が助けになると思えば、私は部屋を出て、他の人たちと一緒にいたり、あるいは、外で座ったりして、戻ってくることもできました。私は鍵をかけられて部屋に閉じ込められる必要はありませんでした。他の人たちのなかにいても、会話に加わらないからといって、裁かれたり、ラベルを貼られることはありませんでした。
ある夜更け、私はエネルギーと言葉に満ちていて、そこで働いている人に、話をしてもよいか尋ねました。二人は、話ができるのだと、お互いに興奮して反応し合いました。これがもし病院だったら、つながりのこのような機会は、過去にあったように、反感をもって受けとめられ、真夜中に目を覚ましているということで薬をのまされていたでしょう。その瞬間に自分がいるところで生じるこういったつながりや受け容れが、苦しい状況を前進し生きのびる能力を、とてつもなく大きく変化させたのです。
ピア・レスパイトに滞在してから、私は、自分に対して強制的におこなわれる極度の介入がなくても、極度に苦しい状況を乗り切ることができるのだということを学びました。また、ことがどうしようもなくなる前にサポートを得ることができることも学びました。そして、自分が乗り切れることを私が忘れているときは、他の人たちがいるのです。私はつながっていないのですが、私が乗り切れるという楽観を私に対してもつことができる人たちがいるのです。あなたを患者としてではなく人として見て関わってくれる人たちがいるということはほんとうに大きなことです。つまり、あなたを、もがき苦しんでいる人として見るのか、それに対して、欠陥がある人、あるいは、病気の人として見るのかということです。そういったアプローチは私に希望を与えてくれましたが、そのアプローチでなければ、それは希望ではなく絶望だったと思います。
ピア・レスパイトに行ってから、私は入院をしていません。入院治療なしで過ごすようになって4年が経ちますが、それは、おとなになってから最も長い期間です。自分自身の人生をどのように生きていくのかを学ぶことにおいて、私は前進し続けています
◆ ジョナサン(Jonathan)の物語
私は、1年ほど前に1週間、ピア・レスパイトに滞在しました。私がそこに滞在したのは、私が医療現場、しかも、病院のような現場ではたらくことが多かったからです。私は、パーソナル・ケア・アシスタント(Personal Care Assistant:PCA)として13年以上、看護助手(Certified Nurse's Assistant:CNA)として5年、働いてきました。正直言って、人びとが亡くなるときに人びとの手を握るというのは、私にとって大きな負担でした。ことの重大さを考えると、私がそのように感じたのは自然なことだと思います。しかし、歳月が経ち、私は、エネルギーを貯める器を作り直してから仕事に戻るために、レスパイトを必要としました。
レスパイトは、1週間で1,000回のセラピー・セッションをするようなものでした。ずっと自分の部屋にいることができるということは知っていました。しかし、思いきって出かけてコミュニティを見ること、そして、私が人びとを助けるために自分ができることを知るためにハウスのなかで人びとと交わることを選びました。私は、自分が好きな作家に会うこともでき、彼は私を彼の家に招待してくれました(ハウスにWi-Fiがあったことに感謝しています)。
好きな作家に会ったこと、ピア・レスパイトで仕事をしている人たちに会ったことは、私の人生を、まったくよい意味で、変えましたし、人生のすべての面において助けになりました。2週間のうちに、私は仕事に戻り、ガールフレンドもできました。
ピア・レスパイトが成り立っている基盤は、ウェルネスと回復(recovery)を進めるのに役に立ちます。つまり、あなたが到着したとき、ただちに、相互性(mutuality)と尊重(respect)にふれることができるのです。あなたの人生を放棄するようなサインを50ページにわたってする必要はありません。あなたは、いつでも自分が去りたいときに去ることができます。レスパイトは、ほんとうに助けになりたいと思っていますし、実際、助けになる仕組みがあります。そういったことは、ウェルネスと回復についてのもっともアメリカ的なイデオロギーです。なぜなら、ピア・レスパイトは自由を尊重するからです。
◆ ダニエル(Daniel)の物語
私が精神医療システムにつながるようになって、今年の5月31日で2年となりました。手短に言えば、私がどのように感じているのかをある人に言ったところ、私に知らされることなく警察が呼ばれ、精神科病院に「自発的に」入院するというサインをしなければ、その人たちが私を入院させると言われました。18歳のときでした。私は苦痛を止めたかったし、実際のところ、誰かがそれを真剣にとらえてくれているということで少し救われました。入院病棟に入ったとき私はパニックに陥っていましたが、心の底では、入院が私を「直す」(fix)ことを切実に望んでいました。
しかし、どんな治療計画も私を「直し」ませんでした。それが私を「直さ」なかったのは、直すものが何もなかったからです。人間としての私、私の人生体験、思考、感情は、そもそも、間違ってはいなかった、あるいは、「直す」必要はなかったのです。昔ながらの精神医療において、私は、個人として価値を見出されるのではなく、一連の症状や診断ラベルに還元されました。それらは、私の人間性を消し去り、それとともに、精神保健専門職者と私との間のほんとうの人間的つながり、対等性、敬意を消し去るものでした。それらが、信頼できる環境や癒してくれる環境を生み出すことは〈ありません〉でした。
退院の計画を立てていたとき、ソーシャルワーカーが、地元のピア・レスパイトを調べてみればと言ってくれました。私は、ピア・レスパイトのパンフレットを読み終わるやいなや電話をしました。私の人生で何が起きているのか、なぜ私がそこに滞在したいのか、についての開かれた質問を尋ねられました。私は診断ラベルを使って答え始めたのですが、そういったことは重要ではなく、〈私〉が何を考えているか、〈私〉がどのように感じているのかを知りたいんです、と言われました。1週間後、私は鍵のかかる病棟を出て、タクシーに乗り、「レスパイト」と呼ばれているところに向かいました。電話で話はしていたわけですが、予想がつきませんでした。精神科病院の病棟と同じようなところで、鍵のかかるドアがないだけではないかと思っていました。しかし、そうではありませんでした。
私が入院病棟に入れられたとき、看護師は、病理学化された質問が書かれた長いリストに目を通し、私に質問をするときアイコンタクトをとることすらしませんでした。最近、私の記録を手に入れたのですが、精神科医が次のように書いていました。「彼は、気分障害について、そして、生物学的な疾患のため彼の機能のレベルは非常に低下しているという事実、引き続き治療が必要であるという事実について、繰り返し教育されていた。」 私は、医師、セラピスト、ソーシャルワーカーの言うことを聞く必要があると何度も言われていました。その人たちの「臨床的な専門性」(clinical expertise)が診断し、薬を出し、治療し、そして、私を救うのだと。自分は生物学的な疾患をもっていること、化学物質(処方された精神科治療薬)と集中的な治療プログラムを正しく組み合わせることのなかに解決があることをしぶしぶ認めていました。「自分自身にとって危険」だと考えられる場合、私が「安全」なのか、あるいは、鍵のかかる病棟に入る必要があるのか、専門職者に繰り返し尋ねられました。そして、その人たちは、私と15分間話すだけでしたが、自分たちは立派な肩書をもっているので私よりも私についてよくわかっているのだと結論づけました。私は自分自身を信頼できなくなりました。
ピア・レスパイトでは、〈私〉が必要としているもの、〈私〉が助けになると思っているもの、〈私〉が欲しいものを尋ねられました。私は、診断のラベルではなく、人間として見られました。「クライエント」「患者」ではなく、対等な人として。エンパワーされて自分自身の決定をおこない、私の声に価値を与えていきいきしたものとするとき、私は、自分自身や、困難な時期を切り抜ける能力を信じ始めるのです。おそらく、私の最初の夜はもっともつらいものでした。1か月半を鍵のかかる病棟で過ごし、自分自身をまったく信頼していませんでした。私は、チーム・メンバーに、自分は自殺するという深刻な考えをもっていると伝えました。私は、次のような自動的な答えが返ってくると思いました。「計画があるのですか? そうするつもりですか? 大丈夫ですか?(Are you safe?)」 しかし、彼女は、ほんものの人間的つながりの場から話しました。彼女は、私に、その背後に何があるのかを尋ねました。そして、彼女が同じように感じていて、そして、乗り切ったときについて話してくれました。初めて、誰かが私に、私は乗り切ることが〈できる〉と言ってくれたのです。私は、自分自身の「安全」のために閉じ込められる必要はなかったのです。誰かが私を信じてくれたとき、私は自分自身を信じ始めたのです。そして、その夜を切り抜けました。そして、その次の夜も、その次の夜も。
その2年後、私は〈まだここにいます〉。私は、どうやってサバイブするのかだけでなく、どうやって成長する(thrive)のかも学びました。そして、私自身や、私の当事者体験(lived experience)や、他の人たちを助ける私の能力に価値を見出しました。その能力は、自分の物語をわかちあって、他の人の人生行路(journey)においてその人をサポートして、他の人たちを助ける能力です。ときに、今なお、深い絶望と苦痛を感じることはあります。しかし、人生を生きるに値するものにする、多くのすばらしい時間もあります。そういった価値ある〈リアルな〉ことは、処方箋綴りに書かれることはありませんでしたし、弁証法的行動療法(DBT)におけるスキルとして教えられることもありませんでした。
もっとも深く絶望しているとき、私が死を求めたのは、苦痛があまりにも大きくて、私は、ほんとうには生きておらず、他の人たちが生きている世界のなかに単に存在しているだけだったからでした。鍵のかかる病棟に閉じ込められて、私は格子がはめられた窓を通してしか外を見ることができませんでした。私の権利、価値、自己決定ははぎ取られてしまい、さらに自分は生きていないように感じました。私がここにいることをたしかにするもっともよい方法は、〈ほんとうに生きる〉(really live)ことだということを学びました。重要なのは、単に息をしていることや「機能していること」ではなく、生きるに値する人生を生きていることなのです。
患者になる前、私は歌を書いたのですが、それは、自殺に屈し、自殺を正当化するものでした。タイトルと繰り返しの部分は、「落ちることは失敗ではない」でした。ある朝、その歌を演奏し、うたったところ、レスパイトのチーム・メンバーが、とても美しくて、希望が彼女に語りかけたと私に言いました。私は混乱し、その歌を書いたとき、歌が私にとって何を意味していたのかを説明しました。彼女は、そのようにも聞こえたけど、他の意味もありうるのではないかと言いました。もがき苦しむことはOKなのだ。それは、すべてが終わらないといけないという意味ではない。私は落ちるかもしれない。でも、誰かが私を受けとめてくれる。そして、私たちはふたたび戻ってくるのだ。そのとき、私にとって何かがほんとうに変わったのです。私は、自分がレジリエントで強いと感じました。私はひとりぼっちではないと感じました。私は新しい生き方を選ぶことができるのだと感じました。ピア・レスパイトは、私が〈私の〉人生を取り戻し始める場でした。今までのところ、人生は、驚くほどすばらしく(amazing)、大変だけど取り組みがいがある(challenging)、美しい人生行路です。
◆ アナ(Ana)の物語
私がピア・レスパイトに来たとき、私は、自分が精神医学的診断や希死念慮から「治癒した」という幻想を失ったところでした。いざとなると、すべては元通りで、自己の感覚やリカバリーの語りはもちませんでした。確信がもてたのは、自分は精神科病棟に戻るのではないということだけでした。
代えて、幸運にも、私は地元のピア・レスパイトにつながりました。そのハウスでなにか魔法の治療法を見つけたということではありません。役に立ったのは、自分が人間、そして、苦しみにある人間であることができたということです。私は、人生を扱うことのできない病んだ人間である必要がなかったのです。私は、自らの自由を失う怖れをもつことなく自分自身について語ることができましたし、他の人たちの婚約指輪やローラー・ダービーについて会話をすることもできました。私の生活、仕事、友人、レスパイトに行くこと、それぞれの間でいずれかのみを選ぶ必要はありませんでした。私の一日について自分がしたいことをする権限(power)をもつことができました。
なによりも、そこに滞在することで、新しいものの見方を得ました。自分の考えをけなしたり根絶しようとするのではなく、私の考えをそのままにしておくことができました。死にたいという考えをもっている、頭のなかで声が聞こえる、あるいはその他のさまざまなことがありながら、重要で意味のある人生を生きている人たちに、私は出会いました。滞在するようになったあとに死にたいという考えが出てきましたが、それは世界の終わりではありませんでした。私の脳は問題ではありませんでした。問題は、死にたいという考えやそうではない受け入れられない考えを、正気というでっち上げられたイメージに結びつけることでした。正気ゲーム(sanity game)では勝者などいません。そして、「よくない」考えをもつことはけっしてないだろうという予想は、私の考えをより一般的なものにしただけでした。一度、サポーターの役割で私の隣に座っている人と同じくらい、自分が確かな存在でいることができました。その人たちは、私の人生を直すことができる正気の中心人物だというふりをしていませんでした。その人たちも、なんらかの苦しい状況を体験してきた、ただの一人の人でした。
私がピア・レスパイトに滞在したことは、そのハウスでの就職に結びつきました。昔ながらの現場だったら、そういったことにはならなかったと思います。でも、それが実現し、うれしく思っています。大変な状況にいるところを見られ、そして、カムバックして他の人たちをサポートしている、そういったコミュニティの一員であることはエンパワーされることです。昔ながらの精神保健機関で私がしてきた仕事と違って、私が信じているものの一部となり、誰かの人生行路の役に立つ一部となることができたのです。
私は自分自身や私の物語について正直であることができ、そして、支援者(provider)であるという見せかけから離れて歩むことができます。私は、リアルで、ほんもの(genuine)でいることができ、ときに、馬鹿げていることもできます。ピア・レスパイトはすべての人に効く特効薬ではありません。私たちは、精神保健システムの他の組織などと比べると小さくて、資金も不足しています。ハウスに滞在した人が引き続き困難を体験し続けたり、ホームレス状態、身体的な健康問題、失業といった非常に困難な闘いをしないといけないのを目のあたりにするのはつらいです。ある人の世界が7日間でよいものになるわけではありません。でも、そういったことが始まるスペースをピア・レスパイトが提供できることを望んでいます。
◆ アンドレア(Andrea)の物語
ピア・レスパイトは、時間が宙づりにされる場だと思います。
昨年、私は初めてピア・レスパイトに滞在しましたが、そのときは、希望がなく、どこにも行くところがなく、私が体験していた苦しみを乗り切る方法はなにもありませんでした。
私が最初にピア・レスパイトというものを知ったのは、病院で会ったコミュニティ・ブリッジャー(community bridger)たちによる紹介を通してでした。私がいた病院はまったくの悪夢でしたが、コミュニティ・ブリッジャーたちがオルタナティブを教えてくれました。その人たちがやってきて、私が出席していたグループで話をしたのですが、その地方で活動している、精神保健のサバイバーのためのさまざまなグループについて話し、ピア・レスパイトについても話しました。
私はそこに行く交通手段がなかったので、地域の人が私を連れていってくれました。みんな、とても助けになってくれ、人生における私の状況を理解してくれ、話しやすかったです。私は自分の個室に落ち着き、事務作業や、生活のなかでこれまで取り組む時間がなかったことをするためのスペースをもらいました。
誰かと話す必要があるときはいつも、その人がそこにいました。
何かをする必要があるときはいつも、それがそこにありました。
休息が必要なときは、休息しました。外出したいと思う、でも不安なとき、外出して、探検するよう、励まされました。そうする価値がありました。地元の街は華やかでした。絵を描くための画材が欲しいとき、そこにありました。本を読みたいとき、本が置かれている本棚がありました。芝生の上かベンチでリラックスして夕日を見たいとき・・・いや、ほんとうですよ、そこにあったのです。
生活において私が必要としている、あるいは、欲しい、すべてのものがありました。私の頭が急速に走り回っていて眠れないとき、夜遅くにふらりとポーチに行って会話をしていたことは、お気に入りの記憶の一つです。
お金はかかりません。誰に対しても、何についても、お金を支払わなくてかまいません。
あなたが必要とするとき、アフィヤ(Afiya)は、あなたのためにそこにあります。それがすべてです。