ドキュメンタリー上映と交流会
🌹ドキュメンタリー上映〜交流会
かけがえの前進、キチガイの一日、私たちの日々、の上映と交流
💐自分をキチガイと呼ぶ人たち
日々を生きることに専心している人たちにも、それを丁寧に拾い映し出すその関係にも安心感があり眠けを誘う心地よさがありました。
簡単に要約すると、一作目は江端一起さんを追うドキュメント、仲間のために活動する日常とそこに至る過程が描かれます。二作目は吉野毅さんの働く現場、牛乳配達の日常と、折々に語る名言や音楽演奏により、精神障害者と呼ばれるひとりの姿が映し出されます。三作目は悠遊舎えどがわの出勤から退社までの一日、朝のミーティングから始まりお昼ご飯造り、商品の製作、間にインタビュ
🌹ドキュメンタリー上映と交流
上映 : かけがえの前進、キチガイの一日、私たちの日々
💐キチガイと呼ばれる人たち
日々を生きることに専心している人たちにも、それを丁寧に拾い映し出すその関係にも安心感があり、眠けを誘うほどの心地よさがありました。
簡単に要約すると、一作目は江端一起さんを追うドキュメント、仲間のために活動する日常とそこに至る過程が描かれます。二作目は岡山の吉沢さんの働く現場、牛乳配達の日常と、折々に語る名言や音楽演奏により、精神障害者と呼ばれるひとりの姿が映し出されます。三作目は悠遊舎えどがわの出勤から退社までの一日、朝のミーティングから始まりお昼ご飯造り、商品の製作、間にインタビューが入り一人ひとりの個性が浮かび上がります。
💐精神障害者に期待するもの
私が期待していたのは、そんな等身大の日常を丁寧に生きる人々の映像から受けるある種の癒し。期待していたものは得られました。
だが、待てよ。期待される障害者像、平和な日常を描き出すために何か無理をしてはいないでしょうか?映画が映し出すことができるのは、ある意味、この社会が期待しているもの、社会が許容するものです。何を目指して撮られた映画なのか、それはいわば社会的認知に合わせたものです。そして、私たちの抱える本当の問題は、未だ可視化できないでいる、正にその社会的認知の外にあるのではないでしょうか。
その社会的認知こそ、自身、きょうだい遺族として苦闘してきたものでした。
💐交流
続く交流会は自己紹介から始まりました。
数々の経験を経て福祉士として働く人、SOSを発する医療観察対象者の相談にのる人、支えられ助けられたことに感謝し自ら事業所の自治を目指す人、哲学的な旅をした人、恋人が自殺したばかり、だからこそ今会える人に会いたい、そして、精神医療から排除された自分。既に知り合いの人たちも多く、それぞれの想いでここに一堂に会しています。
癒しばかりではありません。利用者の平和な日々を支える人たちの自治と支援者たちには、幾層もの営みと葛藤があり、それは切り取られた映像を覗いただけではわかりません。話は次第に自治の困難さという課題に集中していきました。
💐かけがえの前進が目指した自治
20年前に撮られたかけがえの前進と現在、その両方を観たときに見えてくるのは、保護されているようで実は保護されていない利用者や、中でも自治運営に心を砕く人々の存在です。30年以上、地域定着を自ら担ってきた患者会。重い人も仲間にと、愛と正義を注いできた江端さんが大切な仲間たちと目指す自治。
既に世界では自助グループが直接の助成を得て自立し、制度として確立しつつある中で、日本にはそんな制度もなく、自治を目指す患者会は保護も受けられず、当事者たちに大きな負担を強いていることが伺えます。
💐自律とパターナリズム
自律を目指す患者会を、パターナリズムが覆います。方向は正しいのでしょう。何が足りないのか?何が過剰なのか?自治は誰のためなのか?私たちの身体にはパターナリズムが染みついています。それは患者会も例外ではなく警戒が必要でしょう。
制度に守られない患者会、個人商店は、会員の結束や愛情、誠意を頼りに助け合い活動を続けています。人々の出入りや愛情の揺らぎ、リーダーシップの少しの意思のズレがチームワークに影響します。患者会のリーダーといえども利用者、利用者の権利はどうなっているのでしょうか?
当事者のみならず専門職も、いえ研究者も官僚も裁判官も、誰もが自分の周りに小さな安心の場を拵えることに精一杯。他の人の事まで考える余裕のない現実の中、自治支援も救済制度も生まれません。
💐精神的な苦闘を受け止め合う
印象的だったのは、精神障害者と呼ばれてきた一人ひとりが、自らの意見や気持ちを率直に語ることです。医療の管理の下に、意思が受け取られない経験を重ね、それを仲間で受け止め合うことこそ、かけがえの経験だったのでしょう。そうして乗り越え、それぞれが究極の自己を見つけたかのように見えました。
💐仲間の意見を否定する率直さ
精神医療から排除された辺際当事者の私には仲間がいたことがありません。そんな「仲間たち」の交流会は発見の連続で、自分はもしかすると、そんな正直さ率直さとの出会いを求めて参加したのかもしれません。思えば精神分裂症と診断された妹も、私に対して誰よりも率直で正直でした。
私自身を語る機会は未だに訪れません。そんな折に感じる切なさに一旦は疲弊しながらも、不思議と数日後にはむしろ栄養となり血肉となり、確信へと変わっていきます。また、会いましょう♡
添付
キーサン革命のえばっちより寄稿
https://gigi.muragon.com/entry/221.html
