~~ 市民による地域精神保健 ~~ 

- 健康は権利 - (無断転載はお断りします) 中村佳世

GAM 相互支援による服薬の自律獲得, autonomie psychiatriic medication



Gaining Autonomy and Navigating Psychiatric Medication: Olga Runciman and Celine Cyr in conversation

『自律をつかみ取る服薬の旅』

オルガ・ルンチマン: 世界精神薬減薬協会より、セリーヌ・シーア: GAM自律獲得と服薬 

相互支援グループによる精神薬の服薬コントロール、インターネット会議2020年11月 司会ポール・ベーカー :

セリーヌ

私はセリーヌ・シーアといいます。私はプロシューマー(精神医療に携わる専門家でかつ消費者)として様々な経験を重ねてきました。またソーシャルワーカーでもあります。ですから、精神薬に関することや、他の様々なアプローチを用いて、自分自身をエンパワメントすると同時に、他の人と共に私たちのエンパワメントに役立ようと努めています。生物医学モデルとは緊張関係にあって常に闘ってきました。生物薬学モデルと言ってもいいかもしれません。というのは、ここには製薬会社がたくさんあって、そのこととも関係があることを知ってますから。。けれど、怒りの中に留まるのは自分にとっていいことではありませんので、私はそのやり方を選びません。特に歳をとってくると、むしろ仲間と一緒に実践法を発展させるというのが私流です。それが、ささやかながら私がやろうとしていることです。

というわけで、私は、自立した服薬を目指グループの草分け的存在であるGAMのメンバーです。今では世界的な動きになりつつある自立に向けた動きを開発するGAMに、若い時から携わることができたことを、とても幸運に思っています。もちろん自分一人ではなく、みんなと一緒に何かを変えることができるという経験を、若い時からさせて頂けてとても幸せだと感じています。ですから、オルガさんや皆さんとお話できるのは大変嬉しいです。今日は屋根の修理屋さんが来ているので時々私の頭が少し左に向くかもしれませんが、お許しください。よろしくお願いします。

オルガ

私はオルガといいます。デンマークのコペンハーゲンに住んでいます。私も苦しんだ経験があって、長い間精神医療の中で自分を失っていました。長いこと何種類もの薬を服用していましたが、ついに諦めて新しい方法を試すに至りました。今では全く服薬していませんがそれはとても長い道のりでした。私は幻聴があるので『ダッチヒヤリングアテションボイスネットワーク』の代表を務めています。また、世界精神薬減薬協会の団体にも所属しています。

以前は精神科の看護師として働いていました。そしてその同じシステムの中で患者になったわけです。驚くほどの学びがありました。お薦めできるかどうかわかりませんが、多くのことを学んだとは言えます。

現在は臨床心理士をしています。私自身が統合失調症と診断されて精神医療の中で自分を失っていた時、本当に必要だったのは、自分の経験を語るということ、全てを聞き見守ってもらうことでしたが、ただ流され、成り行きにまかせていました。そんな状態は、自分にとっても本当によくないと気づいた時、医学療法では得られないこの支援を可能なものにする臨床心理士になる決心をしました。

今はそれに携わっていて、減薬を手伝う仕事をしています。

精神科の施設でも、精神薬の作用と減薬について大変関心が高まってきているように思いますが、減薬のサポートを職業として根を下している人は、まだとても少ないように思います。それが私のしている長期的な活動の一つです。減薬について実用的な知識がありますし、様々なメカニズムを融合させることでそれが可能になることも知っています。それが私の現在の立ち位置といえるでしょう。

私はある意味活動家で、生物医学モデルにも、精神薬にも批判的な立場です。実際、多くの人が抱くような「どの精神薬が自分に合っているかしら?」という問いを信じてはいません。お分わかりになるでしょう? それは古いタイプの考え方です。私はそうしたグループの人々とは対極にいる活動家です。もう一つ大切なことは正確な知識を得ること、そのためのアクセス手段を持つことです。アクセス手段がないということは大問題です。今だに精神薬に関する嘘やでたらめが横行していますから、その点についても活動しています。

セリーヌ

オルガさんの仰ったことに関連して少しお話ししたいと思います。精神薬に関しての私のスタンスは、オルガさんの立場と大変似ていると言えます。私は、精神薬に全面的に反対というわけではありませんが、効果は限定的だと言えます。また、程度によって精神薬の使用によるダメージ、副作用を心配しています。まず最初に言いたいのは、多剤投薬の処方についてです。ある人に3種類ないし4種類の神経伝達物質を投与してその人を安定させるという処方では、精神薬を多用しすぎで意味がないように思います。それには反対です。

ですが、その人が十分な知識もないままに投薬に同意しなければならないとすれば、その選択は重大だと言えます。それについては後ほどまた触れたいと思いますが。私が活動家として本当に強く反対しているのは電気ショックで、15年くらい前に仲間と立ち上げたコミュニティの一員として活動しています。英語圏には電気ショックに反対する声がたくさんあるのですが、私の知る限りではフランス語圏の団体はここだけなのです。

精神薬に関しての現在の私の立ち位置ですが、オルガさんとよく似たことをしています。私も減薬する人々に付き添い、その後のフォローアップをしています。なぜなら、グループにせよ、個人にせよ、フォローアップで出会う人たちは矛盾した感情をもって困惑しているからです。ですから、GAMではまずオープンダイヤログによって安全な場を確保する手助けをします。そうすると物事を整理して考えられるようになります。私はそのプロセスを支援します。どんなエンパワメントでもそうですが、そのブロセスには日常レベルで異なる段階があると思います。私の役割は一人ひとりが自由に選択できるようエンパワメントすることです。そのためには、まずは正しい情報を持ってほしいと思っていますが、必要な知識のための心の準備がまだできていない場合もあり、それを怖れている場合もあります。

具体的な例をあげましょう。とても具体的な例ですので、オルガさん、思うところがあればフィードバックお願いします。私の働いてきたこの組織には、特に女性に多いのですが、リチウム安定剤を20年から25年も処方され続けている人たちがいるのです。そのために腎機能が低下し透析が必要な状態で、さらに移植が必要と診断されている人がたくさんいます。こんな事になってしまって本当に困惑してますし、本当に悲しくなります。GAMというものがありながら、安全な話し合いの場がありながら、長期的な視野で減薬することの効用に気づかないでいる人がいるのです。私は正にこういったことと闘っています。これが、今抱えている問題です。

オルガ

長期的な服薬よる影響については本当に知られていないと思いますし、あまり関心も持たれません。情報にアクセスする手段がないのがひとつの原因かと思われます。それから、若年層の死について知られていないのも本当に恐ろしいことで、その現状について私は本当に悲観的です。デンマークでは研究もあまりされていません。若い人たちに関して言えば、18歳から30歳までの統合失調症の人の死亡率は、長期入院施設で一般の人の14.3倍、病院では13.9倍が亡くなっています。自殺などもあると思いますが、若い人たちですから、これは驚くべき死亡率と言えます。早期死亡の平均年齢が52歳から55歳です。そのことを一般の人は知らされていません。これは元々急性期用の短期的な精神薬が、一生に渡る長期投薬に至ったことによるものです。

ですから精神薬に釘付けにされることには恐ろしい側面があるわけです。というのも世間、とりわけ精神医療では、精神薬をやめると脳内の疾患が悪化して脳にダメージを与えるという話法が繰り広げられています。ですが、それは証拠のない全くの作り話です。むしろ逆に、精神薬を長期間使い続けることによってこそ、脳にダメージが加えられると考えます。前回ジョアンナさんも仰っていたと思いますが、それは10回恋に落ちたら脳にダメージが与えられると主張するようなものです。でも、私たちの脳は活性化されるためにあるわけです。この議論には様々な側面があると思います。

精神薬の知識について考えるとき、いつも思うのですが、喫煙と比べてみるとわかりやすいと思います。私が若かった頃はタバコの宣伝が盛んであり、非喫煙者やお年寄りなどでなければ、喫煙は何も悪いことではありませんでした。そのうち、ガンなどの悪い影響がでることが公表され漏れ始めるのですが、それを隠蔽するための戦いが繰り広げられました。そして隠し切れなくなると、短時間の受動喫煙は大丈夫だと言われる時期が来ましたが、それも長くはありませんでした。今ではだれでもその知識にアクセスでき人々は自分の行動を選ぶことができます。

アクセスが必要ということは最も肝心なことの一つだと思います。というのも精神薬は脳内の化学的不均衡をもたらすものであって、正しいバランスをとれるようにするものではありません。中にはその不均衡が支えになるという経験をする人もいますから、選択肢としては残すべきですが、それはその人の選択でしょう。それは治癒ではなく、再均衡を約束するものでもありません。不均衡が助けになるという人たちもいます。しかし、多くの人たちはそれを望まないので、別な支援を選べるような選択が必要です。現時点では精神医療が西欧世界の施設制度を支配していて顧客を必要としています。想像してみてください。ある日市場が解放されて、顧客管理が許されなくなり、私たちに一連の可能性が開かれたとしましょう。どんなことが起こるでしょうか?

面白いことになると思います。そこでは、本来の自分のままでいられるオープンダイヤログの可能性を、本当に選ぶことができます。本当に見てみたいですね。そういった方向、そんなことを考えているところです。セリーヌさんはどうお考えになりますか?

セリーヌ

今、50個のことを同時に考えているんですよ。それに効く薬があるかどうかわからないけど(笑)。でもまあ、薬は思考を確かにスローダウンさせますよね。私が考えているのは、間違いなのに多くの人が信じているということ、医学的に言い含められているということを、どうしたら気づいてもらえるのか、ということです。

どのようにしたら薬が脳内の化学的バランスを修正するものではないという事実を知ってもらえるか、より多くの人に伝えたいのです。私たちの組織から始めるわけですが、やることは多いです。薬というものが助けになる人もいないわけではありませんが、脳を治すかと言えば、あてはまらない人が多いということをどうすればみんなにわかってもらえるかなんですね。

薬では治癒はしません。薬のできることには限界があります。薬が全ての問題を面倒を見てくれるわけでなく、あなたの悩みを取り除いてくれるわけではありません。自分自身の経験や薬を服用した経験のある人たちの証言からも言えます。一つの方法として、服薬している人の声を聴くのがよいと思います。そのパラダイムの転換をどうしたらできるかですね。大変な仕事だと思います。というのも、みんなの選択はその社会通念に左右されていますし、主な選択肢、苦悩に対して差し出される主な解決法は精神薬または電気ショックですから。社会の中の選択肢を広げる必要があります。オルガさんはどう思われますか?

オルガ

もうひとつ思うのは、私たちは手っ取り早く治そうとする時代に生きているということです。苦しみがあればそれを取り除こうとする社会に生きています。実際、私たちはみんな苦しんでいますが、それは人としての正常な一部分で、だれでも愛する人を失ったときには悲しむのは当たり前な反応です。にもかかわらず、私たちはそれを避けようとしたり、手っ取り早く繕おうとする文化の中に生きています。また、とても個人化した社会に生きて孤立化していることとも、これらには密接な関係があると思います。

こうした社会を見ていて思うのは、大切なことは、喜びを味わうのと同じように、苦しんだり悩んだりすることが当然のことだという感覚を取り戻すことだと思うのです。精神薬は悪いことや感情などを取り除くのを助けることがありますが、同時に良い面も取り除いてしまいます。これは私の体験したもうひとつの側面ですが、私たちの声は阻害され、対話をすることにもひどく困難を感じました。

例えば、私は、論文を書くに当たって1950年から2000年末までの文献を調べてみました。調べたのは、どんな些細なことでもいいので、統合失調症の人による服薬経験の記述でした。驚くべきことにまた悲劇的ともいえますが、何であれ、服薬している当事者の声にはまったく関心が払われていないということがわかりました。

全てがトップダウンなのです。その描き方語り方は全て上からのものでした。例えば、どのように薬が作用しているかという研究は、私たちの声に基づいて行われたはずです。しかし、私たちの語った言葉がそこには見当たらないのです。何かのメカニズムが働いてその声を消してしまったのです。その声は狂気の側の声として、その言葉が基本的に黙殺されたのです。

この力はとてもパワフルなので見える化して認識される必要があると思います。この研究は、精神薬への依存から解放されるという意味でも興味深いので、施設勤務の精神科医などを含む専門家からの関心も高まってきています。実際、50年代に精神薬が実用化、市場化されて以来開拓されてきた知識は、正に私たちによって得られた膨大な情報によるものです。それらは私たち当事者の声によって開発されたもので、今、正にその蓄積された情報が利用され始めていると言えます。

もう一度念を押したいのは、私たちの服薬の歴史全般を通して、よい減薬をするためのあらゆる情報に関して私たちの声が消されたわけではないということです。というのは、大切な情報は私たち当事者から発しているからです。精神科医や臨床心理士などの専門分野での関心の高まりはまだ始まったばかりですが、こんな方向で考えることもできるかと思います。

セリーヌ

わかりました。あなたがお話しになった点について少しお応えしたいと思います。自分の調子が悪い時には、自分が普通でないんじゃないかという考えにとらわれてしまうことがありますが、それは別として。。

そう、苦しみを感じるというのは人間であることの一部ですね。わたしは自分のためにもそう信じようとしています。苦しみは異常事態に対する正常な反応なのです。それは、そんな異常事態からは抜け出さなければならないというサインなのですから、そんな状況に身をまかせておいてはいけません。しかし多くの人はトラウマになったり、自分を傷つけたりしています。そんな暴力的な話は、私たちの社会が聞きたいものではないでしょう。

そして正に... 、私の論文は、精神薬を服用する立場からの経験を書いたものなのです。共にGAMに着手し支えてくれた人々との歩みについて書いています。なので、私たちの側からの研究が少ないという点については同意しますが、ここ10年の間に少なくとも少しは出て来ているので、それを掘り起こす必要があるでしょう。私の研究も入手可能ですが、フランス語なのでいつか英語版も出そうと思っています。GAMに携わっていて感じるのは、服薬している人の多くが薬を減らそうとしているか、少なくとも減らしたいと思っているということです。

というのは、このシステムの中に長くいればいるほど多くの薬を服用するようになるからです。この相関関係についてはご存じの通りですが、特に入院などすると服薬は増加していきます。そしてクライシスレベルの服薬が続きます。時にはそのために悪化することさえあります。私の場合は、何年か前に服薬の経験がありましたが、ほとんどは抗鬱薬でしたので、長期的に神経弛緩性の薬を減薬しなければならないという経験はありません。ありがたいことに、豊富な服薬情報と経験を共有する当事者の専門的な互助グループがあったのです。

ですからGAMの支援を受けて減薬のプロセスに入り、そこから抜け出すことができます。本当に素晴らしい仲間です。減薬のプロセスには、従来言われているような恐ろしいことなどは起きませんでした。病院に戻らなければならなくなる時もあるかもしれませんが、とても稀です。これがあなたの仰ったことに対する私の応えになるかと思います。

オルガ

あなたが仰るGAMの旅はとても興味がありますが、それはどのようなものですか?

セリーヌ

GAMの旅については本にしましたので送ってあげられます。また、多くの文献があって英語にも翻訳されています。GAMの旅は、あなた自身やあなたのグループの人が、現在のあなたの生活の場面を、多角的な視点から見ていきます。それは日常生活であったり、どんな人間関係の中に生きているかという状態だったり、生活の中で、服薬後の影響を違った角度から注意深く見ていくことなどです。

ですから、これは生活の質に注目すると同時に、生活への影響をも見るものです。とてもストレートで常識的なやり方です。精神医療はややもすると常識というものを忘れてしまっていますが。GAMの目標は、適切な服薬をすることで生活の質を改善できる、というものです。服薬により生活の質が落ちたりしてはいけません。それは、よりよい状況下で、自分の服薬による影響を見極め、薬を変えたいかどうか、自身で決めることです。

これはステップバイステップで進みます。私はケベックのオルタナティプ運動の一員ですが、フランス語系の人々の集まりなので英語を話せない人が多いです。GAMはこのようなオルタナティブ連合の組織のひとつです。もしあなたもGAMの協定に参加してみたいとお思いでしたら、あなたのグループにGAMを採用して頂くか、GAMの方針を組織の中で発展させることに同意してくださるだけでいいのです。以上、簡単に要点をお話しさせて頂きました。

オルガ

ありがとうございました。みなさんも「GAMの旅ってどういうものだろう?」と思われたことと思ったので、代表で質問させて頂いたのですが。。お聞きしていて思い出したのが、ロバート・ウィタカーです。彼の『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』は素晴らしい本だと思います。もし精神薬がそんなに素晴らしいのなら、なぜ人々の障害は益々重くなったり、なんと呼んでいいのかわかりませんが、精神障害年金を受給しなければならなくなったりするのでしょうか。例えば私もデンマークでは最も高いレベルの障碍者の一人とされていて、ちょっとした仕事も無理とされていました。

それから、忘れてならないのがオープンダイヤログだと思いますが、これは私には常に意味のあるものに思えます。ここ3年ほどイギリスに通ってオープンダイヤログのコースを修了することができたのは、とてもラッキーだったと思います。深刻な困難にある人たちを助けるのに、オープンダイヤログが世界でもっともよい成果をあげていると思います。そこでは皆基本的に6ヵ月以内で回復するため、統合失調症の方はいないのです。(要確認)

時々考えるのですが、、一方に80%の人が回復する可能性がある方法があって、他方には20%の人が回復する可能性がある方法があると仮定しましょう。自分だったらどっちを選ぶだろう?という問いと比べてみたら。。驚きですよね。例えば、もし西ヨーロッパ諸国内で、ある人がガンにかかったとします。80%の人が生き延びられる方法と、20%しか生き延びられない方法があったとしたらどちらを選びますか? 私だったらもちろん80%の方です。

医療機関は「すみません、ダメです。時間がかかりすぎますから。」とは絶対に言いませんよね。でも、治療主体に沈黙を強いる分野ではそんなことがまかり通り、治療は黙々と進められます。自分が日々の日課に追われていた精神科看護師だったころのことを思い出します。

私は精神科の看護師から統合失調症の患者になりました。私はその限界を超えた瞬間、自分の声を失いました。つまり、私の話はすべておかしいとか病的とか見なされ、たまたま何かに同意すると、まともな洞察力が働き始めたと見なされたのです。

私は病気ではないと言おうとしたのですが、医師らは何か月もかけて私が病気だと論じ続けたので、つまり私は自分が働いていた場所で、本当にカフカの世界に入ってしまいました。そしてすでに申し上げたように、私はこれを一通り経験してみて、それは恐ろしいことであると同時に異常であるということを知りました。それまで働いていたシステムの一部であることによって、非常に多くのことを学びました。そのシステムから、人々を見るこの奇妙な見方が発生するのです。

看護師として精神科で働き始めたときに、どのようにして常識というものを失って行ったのかを考えたのを思い出します。どのようして私は常識を失ったのでしょう。例えば、誰かが道端で井戸端会議するとき「ピーターはなぜ気分ツが悪そうなの?」と尋ねますよね。私たちは普通「多分、彼に何かあったんだろう。」と言うでしょう。けれど、私が精神科の看護師になったときには、そういうことは学ばず、脳内の化学的不均衡のためにピーターは怒っている、と学びます。彼に何があったのかについては一際無関心です。それはある種の医療の副作用であってとても奇妙なことですよね。しばらく辛抱強く試してみたいという方にはいいかも知れませんが、そこで一番学べるのはそんなことです。セリーヌさんはどう思われますか?

セリーヌ

おっと、はい!ええと、私たちはこの運動の中で姉妹のように思えますね。どうやら私たちは同じ方向に向かって歩んできているようです。私たちの社会、西側諸国では、多くの人が傷ついて苦しんでいると思います。私は自分の国のことの方がよくわかるのでそれについて話していますが、どこでも似たようなものだと思います。特に、精神医療ほど世界中どこでも似たようなものはないといつも言っています。そうでしょう? 本当に多くの人が苦しみ、多くの人が傷つき、不利益を被り、人種差別があり、性差別があり、さまざまな種類の抑圧があります。それなのに、私たちの社会では、被害者の側に何か問題があるという見方を採りがちです。

それは精神障害ということになりますが、私は自分の内側でどのように感じているのかよくわからないのですが、むしろ怒りを感じています。物事が逆さまになっているのです。そんな人たちがクレイジーと呼ばれるのは適切ではありません。他人を傷つけるのがクレイジーな人たちです。とにかく、そんなに多くの傷ついた人たちにできることと言えば、まず提供されるのが精神医療システムです。よい医療者が全くいないわけではなく、実際よい人たちもいるのです。私は内部で働いてきましたから知っています。しかし、私にとっては、そのシステムの視点は、癒しをもたらすものではありません。

私はよくこんな話をします。例えばあなたの心が傷ついている理由いかんを問わず、このシステムは、心が傷ついた他の30人の人たちと一緒に、あなたを精神科病棟に入れようとするでしょう。そういった支援はほとんど選択の余地を与えません。私にとって、人々が自己を表出することができると癒される、というのは命の奇跡です。だからそれは私にとって、人間の魂の力と、癒しの力について、何かを語りかけるのです。では、どうしたら私たちはそれに焦点をあてることができるのか。機会や手段を与えられれば人びとは癒されます。あざができた時や他の怪我をした時と同じように、人間としての自然な癒しのプロセスです。どうすればそれを取り巻くシステムを構築できるのでしょうか。

これが私の主張です。私はそのシステムの中で教えたりもしてますが、システムの外でオルタナティブプランを開発することの方により力を入れています。精神科にかかるためにたくさんの人が行列をなすほど繁栄しているビジネスです。需要に追いつくことすらできていないので、内部から変えるのは非常に難しいと思います。ですから私にとっては、対話トレーニングによるオープンダイヤログを身に着けるだけではなく、オープンな存在でいること、そして、できるだけ多くのオルタナティプリソースを開発し、誰でもアクセスが可能になるようにと望んでいます。オルガさん、私しゃべり過ぎですね。


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