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- あこがれのかの国のベールがはがされていく学びの日々 -

法:こんなに違うフランス・ジャポン la violence

北から南まで、東から西まで、ことばも習慣もことなるフランスでは、
on se pose des questions これでいい? これは人道的なこと? 
こんな場合はどうする? など常に疑問をもち、話し合い、
ときに争う中で答えをだしてきたのだそうです。ストあり、テロあり
そんな主張の自由さが時に収拾の難しさにもつながるのかもしれません。


日本は均質文化 unité cultuele と言われていて必然的に implicit
規範型 normative。(といっても中にいるので何のことかピンときませんが)
言わずともわかるだろー? が平和の基礎になっています。
均質ゆえに共有することがらへの対処はすばやいし、
伝統的なお祭りなんかはお手の物。町会もスムーズ。
不満があってもお腹の中におさめて丸くおさまる。

ときに未経験の問題では解決が遅れることがあったり、
反対に共有しにくい事態への対処はおいてけぼり政策になりがち、
ちょっとニガテです。
和を求めるあまりたまによい意見の方が引っ込められてしまうのも残念な点。


さてここで哲学。


今日のお題は Le monopole de la violence légale
「合法的暴力の独占」
という概念です。

江戸時代には辻斬りに文句も言えなかった一般町人熊さんも
今では侍を訴えることができます。
当たり前のことですが、町民の「地位」はとても向上したといえます!!

さてここで問題。誰でも一度は疑問に思ったことがあるのではないでしょうか?
同じ暴力行為をして、なぜその意味、価値がこれほどまでに異なるのか?
たとえば、
一般の人々には正当防衛以外は禁じられている     interdire de
警察にはそれが認められている                         admettre de
軍隊では人を殺すことが義務付けられる。            devoir de
(今回南スーダンに派遣される自衛隊の場合は法的には正当防衛で対応するとのこと?)


このように暴力が特定の人々にのみ認められていることを合法的暴力の独占というそうです。公認されている暴力、そこには大義があります。

最近、日本弁護士連合会が死刑の廃止を正式に提唱し、直後にひとりの執行がありました。裁判員制度による判決に従い執行されたもので、日弁連は遺憾の意を示しました。
日弁連としては捜査、取り調べ、裁判にいたるすべての段階に人間的まちがいの含まれる可能性を指摘します。一方被害者の立場に立つ世論には根強い反対意見も。
これは国家による暴力がどこまで許されるかという問題でもあります。


下記はフランスのルモンド紙に紹介されたこのときの記事です。


一方で、群馬医大の医師による執刀ミスが一時話題になりましたが
現在も他の病院に移って職務を続けているそうです。
医師によるミスなどの人命関与に関しては法律はゆるめ
合法化される、あるいは軽く扱われる傾向はまだ残るようです。
このあたりも欧米と比較すると「責任」という概念や心がまえに違いがみられます。
これもまた、国民の常識が色濃く反映される問題でもあります。


医師法 (le serment d'Hippocrate) も含め、ひろく一般の人も話合いに加わっての法の見直しが必要な時期にきているのかもしれません。


こうしていろいろな角度から文化を比較してみるといろいろな発見があります。


私が死刑にも裁判員制度にも反対なのは、システム自体があまりにも不完全な中で
人を裁くことに疑問がぬぐえないからです。
もしかすると、たまたま幸せな境遇で生きている人が、社会システムの不公平さから、たまたま理解しがたいほど見えない暴力に耐えてきた人を裁くかもしれない、どれほどの見えない暴力にさらされるだろうか?という疑問がぬぐえないのです。




 









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